東京の山の手を形成する山の手台地目黒台の西南の縁に位置し、急傾斜した駒沢公園や旧都立大跡地を含む都内でも有数の住宅地一帯と遠く丹沢山系や富士山をも一望にできる環境にありながら、この止めようもない大河の岸に立つと、必然的に環七を分水嶺とする、都心と郊外、東方と西方、未来と過去といったものが想起されてくる。
この建物は”西”を見つめることを目的としている。永年この地で中国料理店としての名声を築き上げてきたオーナーは、食することによる健康を求めて中国にたどり着いた経歴をもち、今回の建て替えに一般的な中華でない何かを求めた。休むことのない大都会の営みの流れの縁に、時空を超える存在として今なお積みつづけあるいは崩れかけているともいえる石が、富士をこえ中国大陸をこえて、義務づけられた護岸としての役割を果たしている。その石は1200℃の炎も70ホンを超える騒音エネルギーも受け止める抗火石が最もふさわしいように思われた。嘗て自身発掘に携わったメソポタミアの遺構は、5500年という時間の流れと共にドームが建築の歴史の始まりであることを私に教えた。それは、日本からは西のはて、人類の都市づくりの始まりでもあった。
抗火石の壁面は、角地の道路面から内部空間を包込むように非難階段を内在して三層をなし、環七から隔離された4フロアーは、上層階に昇るごとにその視野を南から西へと拡げてゆく。1〜3階と5階の客室は性格を明確に区別してデザインされ、4階のオーナー住居、地階駐車場のすべてのフロアーをむすぶ朱色のかごは、ガラス・カーテンウォールの中を上下し、建物に近づく人に無意識のうちに主要動線のありかを示している。見下ろす車の流れが時の流れにさえ感じられる5階ラウンジはほぼ全開の視野をもち、ドーム天井の下、意図的にハイバックにデザインされた椅子から眺める日没は、都市生活者に忘れかけた自らの時間を思い起こさせるに違いない。
かつてないほど過去を見つめることに熱心な時代にあって、多様化ばかりが強調される価値観の尺度のひとつに時間軸が強く意識されて来つつある。しかし建築を共に時をすごす存在として考えるならば、時間の概念が建築にもたらすものはメタファーを超えてより深まっていくであろう。一周60Hにおよぶ環状七号線が、建築群による護岸でめでたく封じ込められた時に、この建物は相変わらず西のかなたを見つづけているのであろうか?
(井口直巳)