大都会の岸辺に建つ柿の木坂ドーム

(STONES1994/10/20)



ヨーロッパの人が自分の住んでいる建物について、これは鉄筋コンクリートだからあまり長持ちはしないと話すことを時々耳にする。彼らにとって建物は石か煉瓦を積んで建てるもので、ただのRC造は恒久建築とは考えていない節がある。私の事務所では、外壁部の躯体のふかしと監理でのカブリ厚の厳重なチェックによって、耐用年数の確保につとめてはいるが、西欧人から見ればその鉄筋コンクリートは、今日の我々にとっての木造建築のようなものなのかもしれない。

この国の建築家の主たる興味が物から形へと移ってしまってから久しいが、構造材から仕上材にいたるまで、設計者に委ねられている選択肢は今も多岐にわたる事に変わりはない。近代日本がその街づくりに木をすてて鉄とコンクリートを選んだのは地震と火災のためではあるが、70年前の大震災の教訓で建てられた同潤会などの初期のRC共同住宅が、社会的使命と同時に建築的な寿命にも達しているのを目のあたりにすると、西欧人の感覚の正しさが実感として理解できるような気がする。わが国で鉄やコンクリートの弱点を克服すべく、建物の恒久性をもとめて石材が多様されるようになったのはいつのころからであろうか。しかし、石板で張りくるめられた立派な建物の多くは、その内在する設備的な側面において建築的な長寿を約束されているとはいいがたい。時代の反映としての石ではなく、時代と共にある存在としての石のありようがないだろうか?

かつて私自身が一年近く発掘に携わった紀元前3000年頃のシュメール人遺跡は、日乾煉瓦とよばれる、建設地の土を水でこねて日に干しただけの建材による組積造であるが、直径10mにもおよぶ尖頭ドームを1.5mほどの壁厚で造り上げていたと推論された。エジプトのピラミッドよりはるか昔、メソポタミアの地に歴史上初の都市国家を成立させた民族の手になる円形神殿は、私に建築の始まりについて形をこえた沢山のことを教えた。現在でも民家として一般的に使用されている日乾煉瓦は、もっとも安価でかつ長持ちがし、きわめつきともいえるエコロジカルな建材である。過酷な自然環境のなか、旧訳聖書の舞台のかの地では、毎年の洪水と地吹雪のような砂嵐によって、集落は崩れると同時に土にかえり、見渡すかぎりの砂漠のなかで少しでも高い土地をもとめて人々はまたその上に集落をつくる。こうしてチグリス・ユーフラテスを旅すれば、小高い丘は今や人影のない見捨てられたものもその全てが遺跡であり、そこには幾層にもわたり数千年、時に五千年以上にさかのぼる人間の営みが封じこめられている。都市形成のパラダイムを幾重にもめくるようにイスラム期からアケメニッド・ペルシャ、初期王朝、ジェムデッド・ナスル期まで遡る知的興奮に満ちた発掘作業の末に、私たちはその最下層でおそらく人類最古のドーム建築のひとつに遭遇した。

柿ノ木坂ドームは、現代日本なかんずく東京という街をとりまく社会環境をいやおうなく背負わされている運命にある。33mもの幅員をもつ前面道路の環状七号線は、一日8万台をこえる車の洪水がもたらすあらゆる問題、騒音、振動、排気ガスに満たされ、運転する者も歩行者にとっても気持ちのよい道とはいいがたい。加えて、この道に面して建物を造ろうとする者は、もはや対策のしようもなくなった車公害を、せめて背後の住宅地に及ぼさなくさせる「幹線道路の沿道の整備に関する法律」によって衝立のような「緩衝建築物」を建てる義務を課せられている。東京の山の手を形成する山の手台地目黒台の西南の縁に位置する敷地から西を望めば、眼下に自由が丘に代表される都内有数の閑静な住宅地が広がり、遠くには丹沢山系や富士山も見渡せ、いわば今日我々の世代がどうしても守らなければならない環境が展開されている。現代社会の大河にもたとえられる怒涛のような車の流れの岸にたたずむと、この地は彼岸、対岸の都心から見れば、過去の遺産を守り、発展よりは休息をもとめる世界に属していることがしだいに明白になってきた。富士の稜線のかなたに沈む日を眺めているうちに、この地で永年中国料理店としての名声を築き上げてきたオーナーが、嘗て食することによる健康を追い求めて中国にたどりつき、数千年の知恵の結晶としての薬膳を身につけた話しを思いおこした。たしかに、この美しい落日の先には阿久の食文化をもつ大陸が、その先シルクロードのかなたには都市の曙メソポタミアがある。それは人類の歴史そのものであり、数千年にわたって日本人が追いつづけた文化の源でもあった。私はここを西方をテーマに設計することに決めた。

永遠とも思われたロマネスクやゴシックの石造りの教会が自動車の排気ガスに傷めつけられているように、車公害の典型といわれる環七通りに万全な外装材はない。抗火石の1200℃の炎に耐え巨大な音響エネルギーも吸収する優れた特性は、70ホンをこえる騒音や大型車の煤煙などに昼夜さらされる外壁にこそふさわしい。しかしこの石を選んだのは、このきわめて今日的な悪環境に対峙するのでなく、耐えつつも受け入れる材であること、そして竣工後だけでなく、過去から未来まで連続する時間的概念を持つものであることを必要としたからにほかならない。抗火石しかあつかわない二人の職人によりひとつづつ積み上げられ、従うべき形のないままに据えられていった外壁と笠木は、未だ積みつづけられているとも、あるいはすでに崩れかけているともいえるが、そのどちらであれ、大都会の大河の岸で、はるか西方を見つめながら大きな時の流れを人に伝えつづけるにちがいない。道行くだれもの脳裏に残るであろう頂きのドームは、5000年前に日乾煉瓦を積み上げながら同じ直径のドームに挑戦したシュメール人建築家へのオマージュである。 この建物の意味するものは過去への永遠と未来への夢・・・そして現代への愛。



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